西橋美保第二歌集『うはの空』を読む。

西橋美保歌集『うはの空』(六花書林)に大変感銘を受けたのでちょっと皆さんにご紹介したい。

例えばこんな歌

 眠るとき死んだふりするのはなぜと子は問ふわれに抱きつきながら 「蛍夜」

子供との添い寝の景だろうか。「抱きつきながら」がいい。穏やかに見えて何か不穏な感情が滲み出ている。

 出陣の化粧の紅に泣きてより千年たてど口紅が嫌ひ 「蛍夜」

千年前の出陣だから「前九年の役」のあたりだろうか。まあ、大まかに公達の出陣と考えればいいか。口紅、の持つ意味合いの変容を通して、現代のジェンダーにも疑いの目を投げかけている。

 殴らんと構へしひとに手向かひてつかみしスリッパふにやふにやなりき
 放ちたる殺気はさすが元兵士ちちなるひとは殴らんとして
 殴られても殴られても従はぬ女が憎いか春ちかき夜の

「橄欖追放」で東郷雄二さんが指摘しているが、舅からの暴力、が一つのテーマになっている。「スリッパ」の歌などからは、暴力に対峙する中で、自己が保つべき姿を護ろうとする心が見えてくる。そして、舅の描写も、相手を見返し、睨む視線を強く持ったものとなる。

 国民の公僕と父の言ひしとき声にかすかな陶酔のあり 「音読」

作者は「男性」を見つめ、その姿を描くことで、現実の苦を抉り出す。暴力も、この父の「陶酔」も、同じ根源を持つのだろう。作者の視線によってさらけ出される世界の暴力性に慄然とする。

 羽化しない蝶の蛹を埋めに行く火星の運河はたぶん遠い 「木琴」

身めぐりの理不尽さをどうすればいいのか。個人的にこの一首に心を打たれた。小さな死を手に携えつつ、それが安らぐであろうと願う場所ははるかに遠い。結句一音欠落が、喪失の永遠性を強調する。

 ひやくにんの男に踏まれうめくごと軋めばをんなは他界への橋 「葛藤」

ストレートであり、苦しい。あまたの男は「をんな」を踏むが、それは男が「他界」へと渡るためだというのだ。「他界」は死後の世界ともとれるし、また、男が求める栄達の世界かもしれない。

 ゆふぐれに死者戻ることを叔母はいふ死者は呼び鈴鳴らさずに来る 「神隠し」
 地より出(い)でていんいんと蟬の鳴くごとく死者甦るはおそろしからむ
 百物語に百のかなしみともしびが消えるやうにはひとは死ねない 「小鳥」

この作者は、生死の境というものをかなり峻厳なものとして認識しているように思う。この感覚は不思議だ。しかし三首目、昨今、人は簡単には死ねない。百物語それぞれの怪談には、それぞれの恐怖、恨み、憎しみが宿っている。蝋燭はすぐに消えるが、その悲しみは消えない。人が死ねないのと同じように。

 すこしづつ自分を切り売りすることを労働と呼び買ひ戻せない 「木陰」

まさに。

 日ごろは何とも思はぬ時計が重いぞと麦の熟れゆく季節に思ふ 「木陰」

『平家物語』の「木曾の最期」、義仲の一言「日ごろは何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや」を踏まえた。季節が実りの時へとうつろう中に、己の生はいかにあるのか。

 ここでかの「バールのやうなもの」ひとつさし出す淑女の嗜(たしな)みとして 「水難」

うまく説明できないが、言葉を武器として己という存在の意味を取り戻す心があるように思う。

 代理ミュンヒハウゼン症候群にあらざれど風摘むごとく薔薇摘むゆふべ 「青桜」

代理ミュンヒハウゼン症候群とは、周囲の関心を引き寄せるため子供や近親者のケガや病気を捏造したり、虐待を働いてしまう症例、という。それを薔薇の剪定になぞらえているのだが、裏には作者自身の苦しい記憶の存在をも感じさせる。

 両脚の切断をするその前に死ねてよかつたねえねえと泣く 「神の死」

「ねえねえ」の怖さ。

 ぢつと手を見しとふ啄木その爪のぞんぐわい綺麗でありしか啄木 「手袋」

最近、「啄木クズ伝説」的な言説をよく見かけるが、この歌は「ぞんぐわい」がよく効いている。前歌もそうだが、怖い歌だ。

 わたくしを殴りしその手の持ち主は死にたりその手を焼くまへに拭く 「鬼の道」

暴力をふるった舅が死ぬ。その「わたくしを殴」った手を納棺の前に拭く。加害者が死んだからそれで話は終わり、ではない。これで終わらせたりは決してしないぞ、という心が浮かぶ。

 幅ひろき昭和のネクタイ足首にまつはりまつはり行く手をはばむ 「トーク」

連作からは、暴力をふるった舅の遺品整理の場面と読めるが、もっと普遍的な歌としてもよめるだろう。

 死んだ死んだおまへはしんだと言ひ聞かすお経読みつぎ生者の驕り 「青空をきみは」
 もう誰かわからぬ家霊のをんなたち円座しわれの着替へを見てゐる
 いつかまた手の鳴る方へ迷ひゆきそのまま家霊に連なるわれか

この一連「青空をきみは」の凄み。「家」という苦を描いている。

 憎まれてわたしは遺影のこちら側まづは麦茶を立ちしまま飲む 「キウベヱ」
 クロアゲハ横切る木の下闇の道 許せなくてもよいのだ、きつと
 磯野家の海平波平その母になりたや夏には西瓜たべさせ 「サザエさんの夏」
 依り代になりさうなものみな捨てませう遺品整理は引つ越しではない 「金剛力」
 藤の実は地表をめざすめざせども死者の怒号のどこまでも雨
 鳴き龍とよばれて幾度も鳴かされる龍をば見たり遠く旅して 「日光」
 夢前の岸辺は今宵凍るべしはだらはだらと雪の降るゆゑ 「夢前の鹿」

その他、心に残った歌を。夢前川は作者の棲む地、兵庫県姫路市を流れる川。

大変優れた一冊です。購読希望者はたぶん、アマゾン(https://www.amazon.co.jp/dp/4907891296)でも新品が補充されると思うのだが、版元の六花書林(http://rikkasyorin.com/syuppan.html)さんにメールなり電話一本入れるなりした方が早い。