大田美和歌集『飛ぶ練習』評

問いかける練習を――大田美和歌集『飛ぶ練習』評


  さだまらぬ胎児の意思に揺さぶられ「わたしは」という主語がぐらつく

  産むと決めて今日は言葉の市場から葬儀場まで隈なく歩く

 今まで無条件に信じられてきたものに作者は疑いを向ける。かつて「母たること」は子のために忍従することであり、己を消すことでもあった。しかし、従来の価値観に疑問を呈する形で、この歌集はありうるべき母性の姿を獲得しようとしている。それは、母と子がお互いに向かい合い、命を切磋琢磨させる光景のようにも思える。

  懐かしくてしかも他者なりヴェトナムの映画の光と風と色彩

  冬ざれの大学の中に守りきて今こそ叫ぶ文学は孤児だ

 かつて植民地と呼ばれ抑圧されてきた国に対する偏見。社会から隔絶した学府としての大学の姿。物事の「内部」にいると容易には気付かない事へ作者は疑問を投げかけようとする。だが決して大上段には構えず、思考する一人の市民として、詩人として言葉を発してゆく。読者はそこに信頼感を抱くだろう。

 

■初出:『短歌現代』2003年8月号
■大田美和『飛ぶ練習』(北冬舎、2003)