カン・ハンナ歌集『まだまだです』について

2020年1月11日に連続ツイートしたカン・ハンナさんの第一歌集『まだまだです』(角川書店)の感想をせっかくなので記事にまとめます。

 ソウルの母に電話ではしゃぐデパ地下のつぶあんおはぎの魅力について

「つぶあんおはぎ」が絶妙。航空券は高くて買えず帰省できないので国際電話カードを買って母に電話するという背景があるが、「電話ではしゃぐ」に哀切さがある。

 図書館の判が押された本五冊両手におさえ急行に乗る

学生の日々だろうか。健やかな抒情。

 傘のなか彼から汗の香りがしたどうやらその日が梅雨の始まり

どきっとする。カンさんは日本の湿度の高さに驚いたようだか、そこからかような歌が生まれたのはすごい。

 ペンだこを何度も触る夜中二時海なんてない火星のように

上手い。勉強中のふとした孤独感。この歌集で「海」は特集な意味を持つ。母国韓国と日本を隔てる境界のイメージだろう。海のない火星は作者にとってどのような地なのか。

 赤い赤い垢すりタオルで母の背の垢を落とすこと十か月ぶり

 切ってあげる伸びた鼻毛を切ってあげる 母の頭をふんわり押さえ

各文化で親愛の情の表しかたも色々あって、作者はこの描写が日本語圏で独特な詩になることをよくわかっている。皮膚感覚の差をよく活かした。

 ニッポンで何を超えたいのだろうか日が昇ってから本二冊閉じ

日が昇ってから、ということは、つまり夜中も徹夜して資料を読んでいたということ。そして朝になってもまだ読み続ける。勤勉な院生の姿の奥に何かに急かされる切迫感がある。そこに〈国〉があるという状況。

 続いての「つ」の発音と、ございますの「ざ」の発音でどうしてもバレる

散文的だが立ち止まらせる。韓国人であることが「バレる」のだろう。そんなの気にしなくても、とはマジョリティの勝手な感覚で、作者には複雑な感情がある。それを発音のトリビアルな点で表現した。

 期限付きの在留カード持ち歩き いつか終わりのある木を植える

ストレートな比喩だが納得。

 カバンには天神さまのお守りと石より重い広辞苑さま

ちょっと笑った。自在なユーモア。天神守りが異文化として新鮮味を帯びる。歌集には神社や御朱印等への言及もある。

 冬雨が早いスピードで降りてくる窓の向こうを永く眺める

 ふゆさめ、を歌にした日に金沢から「ぜひこのままで」追伸入る

実は「冬雨(ふゆさめ)」という言葉はない(「とうう」とは読む)。ネタバレだが、金沢から「ぜひこのままで」というメールを送ったのは僕だ。「ふゆさめ」という造語が許されるのかカンさんは大変気にしていた。僕はとても美しい言語観だと思った。

 トランプもキム・ジョンウンもパク・クネも日本のニュースの主人公となり

 韓国と日本どっちが好きですか聞きくるあなたが好きだと答える

 母の子は母が思うより母想う線路伝いに咲く菜の花も

「現代短歌」2017年5月号で僕とカンさんは「異郷」というテーマの二人五十首の共作を行った。上記はその「異郷」初出時に読んで感銘を受けた歌。特に二首目は帯の五首選に入っている。「異郷」25首は今回の歌集ではその一部が「スプーンください」「ハッピーエンド」の章に再編して納められている。興味ある人はぜひ「現代短歌」もお求めください。

   → 2017年5月/45号|現代短歌|現代短歌社

以上、まだ歌集の三分の一程度だが、『まだまだです』の魅力は分かってもらえると思う。ぜひ実物を手に取って読んでほしい。