鈴木暁世『越境する想像力ー日本近代文学とアイルランド』のご紹介

鈴木暁世の初の単著『越境する想像力ー日本近代文学とアイルランド』(大阪大学出版会)が刊行されました。
 http://www.amazon.co.jp/dp/4872594592

学位論文を元に大幅な改稿、書下ろし、年表を加えました。近代日本におけるアイルランド文芸受容に関してはかなり有益なベータベースであると思います。

芥川龍之介、菊池寛、西條八十、伊藤整らをはじめとする多くの文学者が、「アイルランド」を通して、何を見つけ、何を学び、何を育て、何を意識したのか。そして、歴史のなかに自分を、日本をどう位置づけようとしたのかが、新発見を含む多くの資料を駆使して、精緻に論じられてゆきます。一読、明治から今に至る「日本文学」がこんなにも「アイルランド」の影響を受けて来たという事実に驚くこと間違いありません。

「アイルランド」は、イギリスの帝国主義に翻弄されてきた国家です。「アイルランド文芸復興運動」とは、「夢見る民」アイルランド人の幻想性と、「国家独立」を目指す民族主義とが、複雑に絡み合った運動体でありました。その〈愛蘭〉が、なぜ「日本に一番似て居る国」として大正時代の若き文学者の心をとらえ、一大「愛蘭文学ブーム」を生んだのか。それは、「日本」という国が当時、どのような国であったのか、文学者たちが日本をどのように見ていた&どんな国にしようとしたのか、ということと直結しています。日本の近代文学において、実にダイナミックな現象として〈愛蘭〉はあったのです。今回の『越境する想像力』は、そういった波瀾、文学のダイナミズムに真っ向から向き合った、重厚なる一冊であると思います。専門学術書ですので、書店などでお気軽に手に取っていただく、というわけにはいきませんが、もし図書館などでもお目にする機会があれば、ひも解いていただければ幸いです。

…それにしても、ある歴史的事実や表現、思想を海外から受容する際、受け手側の立ち位置や文脈によって、その受容内容が驚くほどに変容するということ。その如実な例である〈愛蘭のイメージ〉を学ぶことは、現代の社会情勢をみることと深くかかわっているでしょうし、現在の私たちにも深い学びを与えてくれると思います。中央集権への反抗のシンボルとなった〈愛蘭〉が、その一方で帝国主義的な文化侵略を肯定するツールとしても援用された、という近代日本の文化状況を見るに、他者を見るということのむずかしさを思い知らされます。それは己を見ることに等しいからです。

そういう話も考えつつ、本書には芥川における「放浪者」のイメージとシングの関係(芥川の短歌も論じられてます!)、芥川の「歯車」とジョイスの関係、菊池寛の戯曲をイェイツが称揚し、当時のダブリンで上演されたのはなぜか、西條八十が『砂金』の幻想的詩人から愛国詩人へと変容した理由は何か、そこに何が影響したのか、ハーンから伊藤整に至るまでのアイルランド文学受容のネットワークの実情など、知的興奮に満ちた研究が満載です。

装丁は、高島裕さんの歌集『饕餮の家』や個人誌「黒日傘」の造本で知られる石崎悠子さんです。学術書には類を見ない、白を基調にした美しい造本です!

……というわけで長くなりましてすみません、鈴木暁世『越境する想像力』をご紹介させていただきました。もしお目に触れる機会があれば、幸甚に存じます。



 鈴木暁世『越境する想像力 日本近代文学とアイルランド』 目次

序章
 1. 研究動機及び問題意識
 2. 研究史と本書の目的
 3.本書の構成

第一章 重ね合わされる「愛蘭」と「日本」
 第一節 「一番日本に似て居る国」、愛蘭土
 第二節 坪内逍遥「北日本と新文学」
 第三節 島村抱月「朝鮮だより」
 第四節 菊池寛「朝鮮文学の希望」
 第五節 丸山薫「あいるらんどのやうな田舎にゆかう」
 第六節 「アイルランド文学」とは何を指すのか

第二章 明治期におけるアイルランド文学受容
     ―雑誌記事の調査を中心として―
 第一節 先行研究と問題の所在
 第二節 政治的文脈のもとでの受容
      ―明治一〇年代から明治二〇年代前半―
 第三節 『太陽』におけるアイルランド受容言説の特徴
 第四節 ハーン、上田敏、厨川白村による紹介
      ―明治二〇年代後半から明治三〇年代―
 第五節 『明星』における野口米次郎、小山内薫の紹介
      ―明治三〇年代後半から明治四〇年代―
 第六節 グレゴリー夫人、シングの紹介
      ―明治四〇年代における平田禿木と小山内薫の仕事―
 第七節 「想像の力に富む」民としての「ケルト」像
      ―明治四一年から明治四五年―

第三章 芥川龍之介「シング紹介」論
     ―「愛蘭土文学研究会」との関わりについて―
 第一節 「シング紹介」の位置付けと重要性
 第二節 先行研究の問題点と執筆への疑い
 第三節 旧蔵書所蔵 John Millington Synge and the Irish Theatre との比較
 第四節 『新思潮』における「愛蘭文学号」特集
      ―「愛蘭土文学研究会」の結成とその特色―
 第五節 複数のシング像
      ―雑誌による言説の差異と芥川龍之介の独自性―
 第六節 芥川龍之介におけるシング受容の根拠
      ―「放浪者」への着目―

第四章 「放浪者」の誕生
  ―芥川龍之介「弘法大師御利生記」におけるシング『聖者の泉』の影響―
 第一節 「弘法大師御利生記」の成立背景
 第二節 アイルランド文学受容の中心としての『新思潮』
 第三節 「弘法大師御利生記」とシング『聖者の泉』の比較
 第四節 「弘法大師御利生記」の独自性と「放浪者」の造型
 第五節 シング『聖者の泉』流行の背景
      ―「壷坂霊験記」と坪内逍遥「霊験」―
 第六節 見えないものを信じる
      ―「貉」におけるモチーフの展開―

第四章 芥川龍之介とジェイムズ・ジョイス
  ―『若い芸術家の肖像』翻訳と「歯車」のあいだ―
 第一節 芥川龍之介におけるアイルランドの関心
 第二節 『若い芸術家の肖像』翻訳草稿「ディイダラス」
 第三節 『若い芸術家の肖像』における幼年期の文体の特徴
 第四節 置換/翻訳
      ―「翻訳」の文体―
 第五節 「感じ易い耳」を持つ「僕」

第五章 J・M・シングを読む菊池寛/菊池寛を読むW・B・イェイツ
     ―日本文学とアイルランド文学の相互交渉―
 第一節 菊池寛におけるアイルランド文学受容
 第二節 ダブリン演劇界における菊池寛受容
 第三節 イェイツによる菊池寛「屋上の狂人」評価
 第四節 菊池寛「屋上の狂人」とシング『聖者の泉』
 第五節 権力への抵抗/肯定

第七章 幻想と戦争
     ―西條八十・その創作の転換期―
 第一節 『聖杯』(『假面』)におけるアイルランド文学
 第二節 訳詩集『白孔雀』におけるアイルランドの詩の翻訳
      ―『砂金』との関係―
 第三節 イェイツからシングへの関心の変化
 第四節 アイルランド文学の研究からチェコの詩の翻訳へ
 第五節 アイルランド、チェコ文学の関心と歌謡・時局詩

第八章 伊藤整『若い詩人の肖像』におけるアイルランド文学
     ―北海道・アイルランド・内地―
 第一節 北海道・アイルランド・内地
 第二節 「普通人の型」への違和
      ―「訛り」と「詩の言語表現」―
 第三部 小樽高等商業学校の教育
      ―アイルランド文学との関わり―
 第四部 訛りの問題の表面化
 第五部 「内地」への旅の持つ意味
 第六部 文芸復興からジョイスへ

結語

あとがき

書誌

資料 日本近代文学におけるアイルランド文学受容年表

索引