あけましておめでとうございます & 春日井建のイギリス詠
あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
今日はバースに行ってきました。あの温泉街バースです。阪神の外人とは違う。
バースと言えば、春日井建『白雨』に「バース行」があります。
バースの温泉は、リア王の父であるブラダットが発見したという伝説があります。ブラダットは王子だったころ、ハンセン氏病にかかり、王宮を追放され、バースの森で豚飼いを始めます。ある日、沼にはまった豚を岸に押し上げるため、沼に入ったところ、温かい。そして岸に上がった後、己の病が綺麗に治っていることに気付きます。喜んだ王子はこの沼を温泉に整え、自分の名前をその地につけました。ブラダッドが訛ってバースになったといいます。
本当は、5世紀ごろにアングロサクソン人が、「温泉の地」という意味でバースと呼んだらしいですが。
ローマ人がここに浴場を築きたる治癒と愉悦の春はるかなる。
王(キング)リアの父ブラダット皮膚病を癒せしは森のなかの隠れ湯
春日井建は、ローマの由来と、ブラダット王子の伝説の両方を、一連の中で並べ置いています。王子が発見した温泉が後に荒廃して、ローマ時代に再発見された、という伝説だと受け止められたのでしょうか。史実は史実、伝説は伝説、と割り切られたのでしょうか。
組み伏せしも組み伏せられしも苦悶せり生(き)なりの石の肌なまなまと
社交とはいかなる気晴らし冷浴と熱浴をくりかへし一日が過ぐ
「バース行」一連は、基本的には旅行詠の形を取って構成されていますが、後半になり、歌集『白雨』の一つのテーマである「病む友」のイメージが濃くなってきます。それはもちろん、王子の病を癒したというバースの伝説と絡められます。歌集『白雨』は、春日井建の疾病観、あえていえばHIV観を色濃く浮かべる歌集ですが、この一連もその意味で重要です。
病名は患者みづからに告げられき水のごとかりしかの夕つ辺に
みづからは知りつつ親に告げざるは臆病と偏見いづれわが友
この「偏見」は、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』を踏まえています。バースにはオースティンの記念館があり、その時の歌もこの一連にはあります。そこから自身の姉妹の結婚の顛末へと連想は移るのですが、それはさておき。こうやって「バース行」では、様々な引用の奥から紡ぎだす形で、「病む友」への思いが詠われます。それは春日井建とHIVの間にどのような距離があるのか、ということの表れでもあるのかもしれません。
『白雨』の旅行詠では「いづこにて死すとも客死カプチーノとシャンパンの日々過ぎて帰らな」の歌を収める「リド島即時」が注目されますが、様々な意味で、「バース行」もそう単純ではない作品だと思います。
さて、春日井建のイギリス詠は、『水の蔵』に「ロンドン逗留」の一連もあります。
ディケンズの原稿の文字よどみなし窓の辺(へ)に蔦かづらは垂れて
ほの白き日癖の霧に閉ざされゐし尖塔何のはづみにか見ゆ
逃れきてワイルドは住みき雲影のとどまるタイト通り三四番
イギリス人のディケンズ愛はちょっと異常です。今年がディケンズの生誕何年かにあたるそうで、あっちこっちでイベントとか、エキシビジョンやってます。ロンドン博物館の企画展は立派なものでした。ディケンズ・ミュージアムもつい先日、数か月のレストアを経て綺麗に新装オープンしたので、さっそくいってきました。ワイルドの家にも行きました。普通の家なんですけれど。