金川宏歌集『火の麒麟』について

2018年8月13日、twitterで連続ツイートした金川宏さんの第一歌集『火の麒麟』の感想を、折角なのでブログ記事としてまとめます。ちょっとだけ加筆しました。では。

 

夏でお盆で暑いので金川宏歌集『火の麒麟』を読みます。

 とめどなく夕べの雲はくづれをりめつむりてゐる汝の背後に

巻頭歌。私、汝、空、の三層が移ろう。くずれてゆく雲を背景とする「汝」はまるで神のようでもある。その「汝」が目をつむってるからこそ、私は「汝」と雲を見ることが許される。

 酔ひ醒めて戻り来れば神のごと月の光は椅子を占めゐつ

美しい。酩酊から帰ってきた私の目に、月光は神のごとくうつる。「椅子」なのがいい。この月光の神は立っているのではなく、座っている。だから静けさが満ちる。

 帰りきてノブ回すときわれ待ちて部屋に犇めく闇を思ひき

これも帰ってきた歌。闇に待たれている自分、という存在。その自分がこれから闇の犇めく中へ帰る。

 炎天を飢ゑつつ歩むわが街のいづこの窓も閉ざされゐたる

一方この歌には、どこにも入れない自分がいる。

 古井戸の底なる空をひびきあふ雲雀らのこゑ祖(おや)たちのこゑ

古来数多い「雲雀の歌」の逆バージョン、だろうか。雲雀は、空は空でも、古井戸の底に移り込む地底深き空を飛ぶ。その地の空に歌うのは祖先。ということは、私もかつてはこの地の空にいたのだ。

 仰ざまの視界を過るちぎれ雲おまへも問ふなわれの行方を

これも空を覗く歌。己の行方を問われ続け、疲れた「私」は雲にも心を許せず天を仰ぐ。

 だれしらぬ冬の夜更けにわが父は黒き柱をみがきゐるやも

少しホラー感覚の歌。これも、心を許さない自意識の表れかもしれない。

 灯さねば月光(つきかげ)しろく射し入りてささやくごとしひとりの窓は

美しい歌。闇を広げたために得ることのできた、ささやきのような明かり。それが私一人の生にさしこんでくる。

 地の涯て焚かるるごとき夕映えや母を呼ぶべく咽喉ひらきをり

集中でも特に素晴らしい歌だと思う。初句の「ちのはて」という一音欠落が呼び出すこの断絶感。何かが焼き滅ぼされるかのような夕照の中で、声にならぬ声を挙げんと咽喉を開く。母を呼ぶこの声は絶叫にして無音だろう。(追記。初句は「ちのはたて」と読むのかもしれない。だとしたら定型尊守の歌になるが、ルビがあるわけではないので、読者それぞれの好きに読めばいいのだろう)

 わが肉へ言葉欲るとき蠟の炎のめぐりに集ふ夜の風あり

この「風」はまるで蛾や羽虫のようだ。言葉とはこうして生まれるのかもしれない。

 ものの音絶えしビル街あゆみゐつ崩ほれるごと来むか未来は

するどいディストピア感。ビルの崩落を幻視しつつ、未来の悲劇を思う。

 げんげ田に花摘みゆけばみごもりし母にゆきあふ杳きゆふぐれ

幻想の一首だけど、ちょっとタイムリープものSFな感じもする。

 汝の乳房つつみてゆける夕闇にまぎれてわれは母呼びにけり

先の歌と並んでいるのがこの一首。作者にとって「母」はなかなか複雑な存在だ。

 地の創に呼ばるるごとく雷ひかる生まれむとするものら犇めく

これとか先の「母」の歌なんか前衛短歌の雰囲気というか繋がりを感じるわけで。出生への猜疑というか。

 晩餐の果てたるのちの月光(つき)射せる卓にか黒し父の臓腑は

月光偏愛と父殺し。これも前衛短歌の系譜かな。

 沈黙と言葉ひとつを測りあふときしもわれは月に濡れたり

月、お好きですね。個人的に連帯感を持ちます(笑。これなんか創作する人は共感できる一首じゃないかな。

 目覚むれどなほつづきゐる夕闇の底ひほのかに枇杷の実あかる

集中ではかなり素朴な歌だけど枇杷の存在感凄い。

 血の暗喩、微量のむらさき、少年の詩歌焚きゐつやよひきさらぎ

好きですこういう歌。確かに今はあまり見ない歌いぶりですが、この現代歌謡の響きはまさに前衛短歌の遺産。拙作の「眼には海、空には雨月、寝台には頸青き少年二人の夜会(ソワレ)」(『黒耀宮』)なんてのもこの系譜上ですね。

 ひと欲れるこころやまねばみづからの肉(しし)に鎖すべし血も月光も

人恋しさの人嫌い。かっこいい。

 たかきたかき光の檻を堕ちゆける夏の雲雀よその蒼き眸

ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器」(高野公彦)、「三月の真っただ中を落ちてゆく雲雀 、あるいは光の溺死」(服部真里子)等と比較してみてもいい。金川作は雲雀の目へ一気にクローズアップしてゆく妙がある。

 口に血のにほふゆうべを疾駆する従ふものはみな夭き死者

これも時代性だな、と思う。「疾駆」のイメージも今現在の短歌ではやや見かけ難いものの一つかもしれない。歌人は死者の先頭にたって走る、という意識は、たしかにあった。

 

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『火の麒麟』は、金川宏さんの第一歌集。20歳から29歳までの作品303首を収める。雁書館、1983年6月23日発行。跋文は松平修文。

この徹底した、そしてどこか潔癖感を思わせる「修辞」は、一時期たしかにその系譜を細くはしたけれど、平成末頃からまた、短歌の世界で読者に親しいものになりつつあるようだ。例えば、井上法子や服部真里子といった作家と金川宏を読み比べる営みに、豊かな詩情の鉱脈を感じる。

現在入手可能な金川さんの歌集としては第三歌集『揺れる水のカノン』があります。短歌とソネット詩とがからみあい、夢幻と現実を橋渡しする、不思議な一冊。ご購読をお勧めします。