大沢優子『漂ふ椅子』に寄せて

今月末の3月29日に批評会を行います。各誌書評にも数多く取り上げられ、評判を呼んでいる歌集です。簡単な紹介文を書きましたので、お読みいただければ幸いです。

   大沢優子『漂ふ椅子』に寄せて

  籠に飼ふネズミは産みしばかりなるその仔を静かに食みをはりたり

産んだ子供をかすかな音をさせて貪る母ねずみ。ストレス、過剰出産、子ねずみに他の生き物の臭いが付いたときなど、ネズミやハムスターは子喰いをすることがある。静かに、おちついて、さも、母に食われることが当然であるかのように。大沢の歌は、こうした静けさの中に、私と家族との悲しみを優しく浮かべる。

  浜砂の踏み跡ふかくくぼみゐてここで私消えたるやうな
  子等ねむる背後忘れて皓月のいづこか心出でゆくならむ
  鬼やらふ声絶えにける夜半の耳雨われの小鬼を打ちつづけゐて
  誰の食器と分ける意味なき一人にて足りなくなりし時に洗ふと

静けさの中に消えてゆく私。そして家族からもゆっくりと心を遊ばせる。それは、「知」を胸に抱いて生きてきた女性の精神の表れでもあるだろう。

  鉛筆の芯研ぐやうなり娘の姑とボーヴォワールの時代を語れば
  まなうらは語らふ人のなき野なれひとり火草の原と呼びをり
  新訳のカラマーゾフ家の人々とやや馴染みたり夏蝉の声

上記のような歌に、春日井建から受け継ぐ良質の抒情を思わせる。また、集中には、北の地を旅した記録も散見される。

  倒木の白累々と伏す野なりここへ導く意思にしたがふ
  凍河ひとつわたれば雪野は跡絶えてひとと言葉をおそれあひたり

白く枯れた倒木が並ぶ荒野。厳しい風景が清浄な言葉で描写されている。言葉を交わさず凍河を渡るというのも、知と情のバランスの上に歌を紡ぐ大沢らしい。しかし、大沢の歌世界は、安定した美の中だけに安住はしない。次のような、皮肉の利いた歌もある。

  余命永しと手相見はいふ世に乱のあると思はぬのどけき声に
  再生のかなはぬ人がリサイクルを美しきこととしきりにいへり
  食へないと釈明かさね食品に脱酸素剤つき添ひてゐる
  その母のゐなくなりしといふ家にすこし拙く物の干さるる

そしてやはり、世界を見据える視線は、家族に絡むとき、最も鋭くなるようだ。

  水無月のみどりご鮎子と呼ばれたる数日ありて鮎子となれり
  ノアールと呼ばるる葡萄の房重し秋シチリアに父のゐるごと
  娘の語るストーカー男に特性なく駅より不意に現れ消ゆる
  みちのくにあるといふなる名取川婚をなす娘と旅に渡れる

「鮎子」の歌は、白の会でも話題になった。「鮎子」という、若々しい名を付けられたみどりご。父母親族からそう呼び習わされ、名が浸透した頃、出生届により法的に「鮎子」となる。微笑ましい一首であり、かつ、家族を結ぶものは何なのかを静かに問いかける。

その家族には災難が及ぶこともある。特性なき外敵と対置されるからこそ、「家族」は家族である。そして、ご息女の婚に「名取」、すなわち独立を思う。それは新たな「家族」の出立でもあろう。漂う椅子に座るのは、誰なのか。それは即ち、永遠に漂い続ける「家族」の中の私なのかもしれない。

   ※大沢優子『漂ふ椅子』(短歌叢書234)、砂子屋書房、2008年9月